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2015年6月14日日曜日

このwebの今後

 山梨県甲府市で2014年7月12,13日に開催された「ロックの詩人 志村正彦展」から、一年近くの歳月が経ちました。昨年の6月9日に開設されたこのwebは2年目に入ることになります。
 このところ、今年の計画についてのメールでのお問い合わせが続きましたので、この場でもお知らせいたします。

 私たち「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会が主催する志村正彦展やフォーラムの予定はございません。
 
 お問い合わせいただいた方々をはじめ、ご期待にそえず申し訳ありません。(私たち以外の企画については分かりませんが、あるとすれば何らかの告知があるかと思われます)

 これまで24回にわたり、展示とフォーラムについてのふりかえりを掲載してきました。これからは、たくさんの方々に書いていただいたアンケートについて少しずつ文字に起こしていきたいと考えております。(7月中旬から始める予定です)
 ほんとうに「スロー」な掲載ですが、ご理解賜りますようお願いいたします。

 先日、鈴木亮介さん(志村正彦展フォーラム発表者)から当日の写真を御提供いただきました。この場で感謝を申し上げると共に、掲載させていただきます。
 13日のフォーラムと展示会場のものですが、あの日のあの場の雰囲気がよく伝わってきます。



フォーラム会場。樋口寛子さんのお話を二百人の参加者が熱心に聴講されていました。

 
展示室1入口。待ち時間が長くなり、ご迷惑をおかけしました。


展示室2。中央テーブルでアンケートを書いていただきました。



 今後は、インターネットという場で、このwebを通じて、志村正彦の存在と彼を愛する人々の言葉を現在と未来に伝えていく活動を進めていきます。
 
 私たちは非力であり、スローな活動になりますが、これからもよろしくお願い申し上げます。

               
                 「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)実行委員会

 

2015年3月29日日曜日

フォーラムの閉会 [フォーラムをふりかえって 13]

 フォーラムの最後に実行委員長からのご挨拶がありました。

 皆様今日はありがとうございました。
 全国からご来場いただき、また展示を見るために長時間、2時間くらい待っていただいた方もいると思うんですが、ありがとうございます。
 なにより今日のこの展示・フォーラムは志村さんのご両親、ご家族の全面的な支援によって行うことができました。心から感謝しております。


 一言だけ言いたいのですが、僕は志村さんの作品は百年後に残ると思っています。百年後、日本語の歌を振り返った時に志村正彦、フジファブリックの名前が出てくると。

 僕らがこんなつたない展示や活動をしなくても、絶対残るとは思うんですが、それでも、どう残るかという問題はあると思います。ここにいらした熱心な方々を含めて、どうやって残していくか。それにはやはり語り合うのはとてもいいことだと思うんです。みなさんブログとかtwitterとかいろいろなことばがあって、僕も結構読ませていただいていますが、これからもいろいろなことばで彼の作品を語っていくことが大事だと思います。そのためのフォーラムで、この活動が少しでもそのためになればいいと思っています。
 今日は本当にありがとうございました。


 参加者のみなさんにアンケートのお願いをし、受付でささやかなプレゼントとして今回の「ロックの詩人 志村正彦展」のB2版ポスターをお渡ししてフォーラムはお開きになりました。

 お話しをしてくださった方々、コメントを寄せてくださった方々、会場からご発言いただいた方々、みなさんが志村正彦さんと彼の歌を大切に思う気持ちが伝わり、会場も一体となって笑ったり涙したり、とても心温まるフォーラムとなりました。
 

2015年3月22日日曜日

フォーラム参加者のご発言 6 [フォーラムをふりかえって 12]

  フォーラム参加者のご発言の最後に、富士吉田の男性の方がお話ししてくださいました。


 私は志村正彦君のお父さんとご近所の知り合いで、正彦君と言うより「まーちゃん」ということでおつきあいさせていただいていました。フジファブリックという名前がいろいろなところに載っているのを見かけるようになって、「ああ、これはあのまーちゃんかな」と思っていました。家内はまーちゃんが小さい頃抱っこしたこともあって、今となっては稀有な経験だったと思っています。この会場には抱っこした方はいらっしゃらないと思うので。

 仕事場が志村家の菩提寺のそばにありまして、数年前はあの辺りで困った風なお嬢さんを見かけて、正彦君の眠っているところへ何人かご案内したり、「お花屋さんがありませんか」と尋ねられて、代わりにお供えするお花を買ってきてあげたというようなこともありました。

 歌詞のことですが、私もものを作る仕事をしておりますので、なぜああいう歌詞が生まれたかと言いますと、正彦君が生まれて育まれた環境だと思うんです。何かを作るということには環境ということに左右されると思うんですよ。先ほど富士吉田市がろくでもないというお話しがありましたが、これから歌詞が生まれてきた環境について研究して、機会がありましたら先ほどの方とお話ししてみたいと思います。

 
 幼い日の志村正彦さんをご存じの方からの温かいことばで、会場は何度も笑いが起きていました。「富士吉田はろくでもない」と発言した高校生は頭をかきながら、会が終わった後、楽しそうにお話しなさっていました。

 まだお話ししたい方もいらしたかもしれませんが、あっという間に予定の時間が過ぎ、参加者からのご発言は以上で終わらせていただきました。

2015年2月8日日曜日

フォーラム参加者のご発言 5 [フォーラムをふりかえって 11]

 次に発言された女性の方からは、音楽業界で仕事をなさっている樋口寛子さんと鈴木亮介さんに「志村さんが奥田民生さんに影響を受けてバンドマンになったように、今年10周年を迎えるフジファブリックの影響を受けて、新しくバンドが生まれたりメジャーデビューしたりしているのか。フジファブリックが音楽業界に与えた影響について、言える範囲で教えてほしい」という主旨のご質問がありました。
 先に樋口さんからお答えをいただきました。

 日々ブッキングを担当していて、若いミュージシャンと会うことが多いのですが、フジファブリック、志村君に影響を受けたという人たちはとても多いと思います。ロフト、私ということもあるのかもしれませんが、コミュニケーションの入り口として、「僕も、私もフジファブリックが好きで」と始まることが増えたなという印象があります。世代としては特に23~26才くらいの人たちが多いですね。例えば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、KANA–BOON、特にボーカルの谷口君はフジファブリックが好きで、そこから一気に交流が始まったということがあります。他にもそのような人たちはいますね。
 私達の世代にとってスピッツの草野正宗さんや奥田民生さんが好きで、憧れであったように、今の若い世代のバンドにとってフジファブリック、志村君は完全にそういう存在になっていると感じます。

 次に鈴木さんからお話しをいただきました。

 大きな流れで言うと、今、音楽業界が下火だとかCDが売れないとかいうこととも関連していると思いますが、商業的にはフェスというのがとても大きな機軸になっているんですね。そうなるとアゲアゲ、ノリノリの曲ばかりやっているようなバンドが支持されて、それが一つの正解という風潮があります。だから音楽を目指す人たちも、ちょっと検索して、こういう風にすれば売れるんだということになって、ワンパターンでバリエーションがなくなっている。そういうところでは、フジファブリックを目指しているとか影響を受けているというのはちょっとずれている感じがあります。
 一方で、今、ライブハウスがとても面白いんです。今はセルフプロデュースができてしまうので、自分たちで音源をインターネット上に公開したりして、メジャーで売れることだけが音楽的な成功ではないと思う人たちも出てきている。何百万人に支持されるというわけではないけれど、一定のファンがいて、ライブをすればライブハウスがいっぱいになるというようなバンドが増えてきていると思います。その中にはほんとうにいろいろなバリエーションがあります。そういうところでは、キーボードが入ったり疾走感があったりというフジファブリックを、真似するというのではないのですが、目指している人たちは増えてきているのかなと感じます。


 
 樋口さんと鈴木さんのご発言から、フジファブリックが若い世代にとって「憧れ」の存在であり、「目指す」べきバンドでもあることが伝わってきました。

2015年1月31日土曜日

フォーラム参加者のご発言 4 [フォーラムをふりかえって 10]

 好きな志村正彦さんの曲の話を終えてから、再び自由にご発言いただきました。
 先ほど「星降る夜になったら」が好きと答えてくださった方があらためてお話ししてくださいました。
 

 今日は発言するつもりはなかったのですが、先ほど思いがけずお話しすることになったので、思い切ってもう少しお話しさせていただきます。
 私は東京で小学校の教員をしています。実は志村さんを知ったのは志村さんが亡くなった時でした。もともとは奥田民生さんが好きで、2009年にユニコーンが復活して、その頃ずっと聴いていました。志村さんの訃報に接した時、奥田民生さんに影響を受けたと書いてあって、興味を持って、初めて「銀河」を聴いた時にものすごい衝撃を受けました。こんなすごい曲を作った人が亡くなってしまったんだと思ったら、それまで関わりがなかったのに自分でもおかしいと感じながらも、大きな喪失感がありました。今日は昔からのファンの方とか地元の方とかそういう方ばかりかなと思っていましたが、先ほどからお話しをうかがっているといろいろな方がいらっしゃるとわかって安心しました。
 私は志村さんの曲はほんとうに素晴らしいと思っているので、何気なく伝えたいと思い、実は去年の運動会でリレーの時に「Sugar!!
」を流したり、行進のはじめの時に「星降る夜になったら」をかけたりしました。そのことに特に反応はなかったんですが、練習の時、けがで出られない男の子が出だしのところで急に踊り出しました。純粋無垢な子供たちに伝わるのだから、これは本当にすごいのだなと思いました。これからもみなさんに教えていただきながら、自分なりに地道に普及活動をしていきたいと思います。

 「地道に普及活動」というところで、少し笑いが起きました。会場の皆さんに中にも志村さんの曲をもっと多くの人に聴いてほしいと「普及活動」をなさっている方がたくさんいらっしゃったのかもしれません。
 次にお話ししてくださったのは若い男性の方でした。
                                                           
 皆さん、ちょっと冷静になって考えてもらいたいんですけど、「U.F.Oの軌道に沿ってあなたと逃避行」ってどういう事ですか?こんなふうに、すべての曲と言っていいほど、志村さんが書く歌詞はわけがわからなくて、だからこそ僕たちは「これはどういう事だろう」と考えさせられます。
 さっき展示を見させてもらったんですけど、その中に「歌詞の中の自分に現実の自分を合わせていっている」ということばがあって、なるほどと思ったんです。歌詞の中の自分を別の現実の自分の視点から書いているって、曲に対するストイックさがすごいなって思いました。 
 僕は音楽をやっていて、作詞作曲もやっていますが、今の曲って、こんな事を言っては何ですが、アイドルの曲などを聴いているとどれも同じに聞こえてしまいます。その点、フジファブリックの曲は、志村さんの曲も今のフジファブリックの曲もそうですが、特別な、絶対聴いたことのないメロディーや歌詞で、僕の心に沁みるというか、直接入ってきます。僕もそんな歌詞を考えていきたいと思って、今日は展示や皆さんのお話から、そのヒントをいろいろ学ぶことができました。ありがとうございました。


 冒頭の質問には会場から大きな笑いがおきました。自分で作詞作曲をなさる方からの曲作りという視点でのお話が興味深いものでした。

2015年1月22日木曜日

フォーラム参加者のご発言 3 [フォーラムをふりかえって 9]

 参加者のご発言がいったん途切れたところで、皆様に「志村さんの楽曲で一番好きなのは?」というファンには難しい質問をしてみました。
 「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」「茜色の夕日」「若者のすべて」「虹」などシングルとなった代表曲を中心に曲名をあげて手をあげていただきました。それぞれたくさんの手があがりました。

 最後に、今まであげた中に「私の一番は入っていないという方」に挙手をしていただくと、数名いらっしゃいました。 その中のお一人に「では、何が一番お好きですか」という質問をしたところ、突然の質問に驚かれながらも、お話ししてくださいました。

 私は悩んでいたんですけど、「星降る夜になったら」がすごく好きです。というのは、志村さんが前向きに、前に進もうと思っているように感じるからです。出だしの躍動感あふれるようなリズムとか、私自身も前向きになれるような気がします。
 月曜日に仕事に行きたくないなと思うような時でも、朝からあの曲を聴いていると「よしこのリズムで駅まで歩いていこう」という気になれます。

 もう一人、同じ質問に手をあげてお答えくださいました。

  私は「セレナーデ」を選びました。「明日は君にとって 幸せでありますように そしてそれをぼ僕に 分けてくれ」というところがとても好きで、一番好きな曲です。

 思いがけずという形になったかもしれませんが、お話していただいてありがとうございました。
 今回はお二人でしたが、皆様お一人お一人に大切な一曲があり、その理由や好きになった物語があるのだろうと感じることができました。