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2014年12月20日土曜日

フォーラム参加者のご発言 1 [フォーラムをふりかえって 7]

 四人の発表者にお話ししていただいた後、「志村正彦フォーラム」にご参加いただいた方の中から挙手をしていただいて、お話しをしていただきました。今回から、お話の要約を御報告したいと思います。
 最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。

 大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。
 これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。

 とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。
 次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。

 志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。
 中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。

 ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。
 続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。

 進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。
 志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。

 志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。


 

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